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2011年3月

2011年3月16日 (水)

JB-POT直前(じゃないけど)講座2011 番外編2 電気や酸素の途絶

「ついでにネパールでの停電や酸素配管の暴発についても知りたい」とのリクエストがあったので追加する。

最初に、現地で大変お世話になった本を紹介しておく。
Primary Anesthesia
という、ケニア在住の英国人(?)麻酔科医の執筆した教科書であり、現在ではamazon経由で入手できるようである。(私は度重なる引越しで紛失してしまったので、残念ながら手元にはない)。胸壁聴診器による術中モニタリング、ケタミン点滴による静脈麻酔など、電力など社会的インフラに制限のある場所での麻酔の工夫が、たくさん詰まっている。(ある世代以上の麻酔科医にとっては懐かしい内容かもしれない。)現在の日本でも、被災地での麻酔や、停電下での麻酔維持の参考になると思う。ふんだんな挿絵も、なかなか味がある。


10年以上前、私はネパールの病院で、約1か月間の麻酔業務に従事していた。
症例は5才男児の陰嚢水腫であった。

酸素ボンベーハロセン気化器ージャクソンリース回路を接続しただけのシンプルな麻酔器で、酸素ーハロセンによる緩徐導入で就眠させ、点滴を確保した。マスクーバッグ換気で麻酔維持しつつ、術野では消毒を進めていたところ、突然の暴発音が響き、バッグの手ごたえがなくなった。劣化していたゴムの配管が、内圧上昇で破裂したらしかった。

患者の自発呼吸はほとんどなかったが、幸いにも手術室の壁際にアンビューバッグがあった。空気換気で何とか患者の酸素飽和度は維持できたので、点滴よりケタミンを静注し、麻酔を維持することが可能になった。手術そのものは約20分で終了したので、ケタミンの追加は不要だった。


手術室が停電になったのは、ネパール出張もほぼ終わる頃だった。そもそも手術室には電気コンセントが2つしかなかったので、同時に電子機器は2個しか使用できない。麻酔中生体モニターは、聴診器と触診(脈診)および日本から持参した携帯酸素飽和度計のみであった。酸素ボンベはインドから輸入する貴重品で、術後酸素投与は基本的にはなかった。アトロピンやエフェドリンなどのアンプルは、目立つところに並べてはいるが、アンプルを切るのはそれなりにバイタルが変動したときに限られる。人工呼吸器は半径500kmにはないので、麻酔中は全て手動換気であった。

手術も終盤の頃、突然に手術室は真っ暗になった。看護婦は「あら、停電だわ」とつぶやいて、なれた調子で懐中電灯を取ってきて術野を照らした。外科医もなれた調子で電気メスをあきらめて結紮で止血した。私もいつもの麻酔維持をそのまま続行した。手術が終了すると、看護婦はわたしの手元を照らしてくれたので、患者の顔色や胸郭の動きを参考に、難なく患者を覚醒させた。

結語
1.停電下の麻酔維持にケタミンはけっこう使える。
2.酸素の途絶に備えてアンビューバッグを確認しよう。
3.可能ならば、たまには手動血圧計+聴診器のみをモニターにして手動換気で、電気なしで麻酔を維持するシュミレーションをしてみよう。
4.爺医の昔話ベテラン医の経験談を侮るべからず
5.途上国医療は災害医療と共通点が多い。チャンスがあれば災害医療の練習と思って、途上国医療を経験してみるのも悪くない。

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2011年3月15日 (火)

JB-POT直前(じゃないけど)講座2011 番外編 人工心肺中の停電

皆さんご周知のとおり、本日より東北大震災の影響で首都圏でも輪番停電が実施されることとなった。電車の運休、ガソリン不足、なかなかつながらない電話、錯綜する停電情報をのりこえて、なんとか本日の予定手術を無事に終了することができた。それなりにしんどい一日だったが、被災者のご苦労を思えば我慢すべき範疇であろう。

帰宅し、節電以外に私なりにできることは・・・と考えたところ、
「人工心肺中に突然停電し、停電下に人工心肺離脱を強行した一例」
の経験があるので、今後の停電に関係して誰かの役に立つかもしれないので(たたないことを祈っているが)、簡単にまとめておく。
例によって、細かい数値はうる覚えなので、マネする場合は自己責任でお願いしたい。


6月のよく晴れた日のことだった。
57才男性、狭心症の診断で人工心肺下CABG4枝が予定された。
心機能は比較的良好で、麻酔導入→グラフト採取→人工心肺装着→バイパス吻合までは特に問題なかった。
吻合終了後の心臓再鼓動は問題なく、ドパミン少量+ニトログリセリン+ニコランジルをシリンジポンプで流しつつ、体温の復温を待っていた。

時刻は13時頃で体温34.5度のころ、突然にあらゆる電子機器がストップした。
なぜか天井灯のみが点いていた。

手術室内のスタッフは比較的冷静で
「雷?」
「朝は晴れだったのに?」
「そのうち非常用電源が点くよ」
「TEEが電力を喰いすぎなんじゃない?電源を抜いてみれば?」
などと会話しつつ、電力の復旧を待つこと5~6分・・・

モニターはシャットダウンしたままだった。人工心肺は内臓バッテリーでとりあえず動いてはいたが、電力は復旧する雰囲気がなかった。心臓外科医+ME+麻酔科医で目配せし、「このまま不安定な状態を続けるよりは、体温が低めだけれど人工心肺を離脱しよう」と決定した。

若手MEが機転を利かせて、血液ガス測定装置のバッテリーを外してモニターに接続してくれたので、基本的なバイタルサイン数値は知ることができた。カテコラミン類はシリンジポンプのバッテリーでしばらく注入できそうだった。心臓に気合を入れるべくCVからオルプリノンを1ml注入し、心臓が多少元気になってきたところで、人工心肺よりボリュームを負荷した。久々にTEEではなく直視下の心臓の大きさで、人工心肺離脱時のボリュームを決定した。人工心肺は内臓バッテリーではメインのローラーポンプしか動かない機種だそうで、サッカ吸引ではハンドルによる手回し(医龍2で登場したのを覚えている方もいるだろうか)が登場した。

人工心肺離脱後は当然のことながら人工呼吸器が使えないので、麻酔科医が手動でバッグを揉んで換気をすることになった。麻酔科医が一番忙しい時期に片手がふさがるのは、けっこうつらかった。追加の薬剤をシリンジに吸ったり、回収血をポンピングするのはなかなかつらい。他の麻酔科医たちは研修医の部屋に優先的に応援に行ったらしく、私の部屋にはだれもこなかった。

手動換気を続けること約30分、突然に電気は回復した。その後の手術は順調に進み、手術終了後に症例はすみやかにICUに運ばれ、十分に加温した数時間後に問題なく抜管された。


当然のことながら、停電および非常用電源が作動しなかった原因が調査された。

停電の原因:4月からその病院では電子カルテを導入したので、大量のパソコンやらプリンターやらが院内に追加されていたが、その時点では問題なかった。ただし6月末の晴天日の昼ごろということで、病院のあちこちでクーラーのスイッチを入れたので「電カルの容量負荷+夏季容量負荷」が重なって、電力供給能を超えてしまってブレーカーらしきものが作動したそうである。

非常用電源の作動しなかった原因:その病院の手術部は増築に改築を加えたので、タコ足にタコ足を加えたような電力配線だったそうである。天井灯だけはなぜか上階の病棟から配線をひっぱており、また手術部の非常用電源は「完全な停電」にならないと作動しないシステムだったそうである。

個人的には、私にとって「手術中の停電」はネパール(酸素配管の暴発も経験)、ニューヨークに次いで3度目(ただし開心術では初めて)だったので、比較的冷静に対応することができた。


結語

1.非常用電源を過信してはいけない。
2.人工心肺中に停電となったら、麻酔科医は人工心肺中にあらゆる薬をシリンジに吸っておき、離脱後の手動換気にそなえる。
3.明日、手術室に行ったら懐中電灯とバッテリーの在処を確認しておく。
4.酸素も途絶する可能性があるので、セルフインフレーション式アンビューバッグの在処を確認しておく。
5.電カル導入後1年ぐらい(少なくとも夏を越すまで)は用心すべし。

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