JB-POT直前(じゃないけど)講座2011 番外編 人工心肺中の停電
皆さんご周知のとおり、本日より東北大震災の影響で首都圏でも輪番停電が実施されることとなった。電車の運休、ガソリン不足、なかなかつながらない電話、錯綜する停電情報をのりこえて、なんとか本日の予定手術を無事に終了することができた。それなりにしんどい一日だったが、被災者のご苦労を思えば我慢すべき範疇であろう。
帰宅し、節電以外に私なりにできることは・・・と考えたところ、
「人工心肺中に突然停電し、停電下に人工心肺離脱を強行した一例」
の経験があるので、今後の停電に関係して誰かの役に立つかもしれないので(たたないことを祈っているが)、簡単にまとめておく。
例によって、細かい数値はうる覚えなので、マネする場合は自己責任でお願いしたい。
6月のよく晴れた日のことだった。
57才男性、狭心症の診断で人工心肺下CABG4枝が予定された。
心機能は比較的良好で、麻酔導入→グラフト採取→人工心肺装着→バイパス吻合までは特に問題なかった。
吻合終了後の心臓再鼓動は問題なく、ドパミン少量+ニトログリセリン+ニコランジルをシリンジポンプで流しつつ、体温の復温を待っていた。
時刻は13時頃で体温34.5度のころ、突然にあらゆる電子機器がストップした。
なぜか天井灯のみが点いていた。
手術室内のスタッフは比較的冷静で
「雷?」
「朝は晴れだったのに?」
「そのうち非常用電源が点くよ」
「TEEが電力を喰いすぎなんじゃない?電源を抜いてみれば?」
などと会話しつつ、電力の復旧を待つこと5~6分・・・
モニターはシャットダウンしたままだった。人工心肺は内臓バッテリーでとりあえず動いてはいたが、電力は復旧する雰囲気がなかった。心臓外科医+ME+麻酔科医で目配せし、「このまま不安定な状態を続けるよりは、体温が低めだけれど人工心肺を離脱しよう」と決定した。
若手MEが機転を利かせて、血液ガス測定装置のバッテリーを外してモニターに接続してくれたので、基本的なバイタルサイン数値は知ることができた。カテコラミン類はシリンジポンプのバッテリーでしばらく注入できそうだった。心臓に気合を入れるべくCVからオルプリノンを1ml注入し、心臓が多少元気になってきたところで、人工心肺よりボリュームを負荷した。久々にTEEではなく直視下の心臓の大きさで、人工心肺離脱時のボリュームを決定した。人工心肺は内臓バッテリーではメインのローラーポンプしか動かない機種だそうで、サッカ吸引ではハンドルによる手回し(医龍2で登場したのを覚えている方もいるだろうか)が登場した。
人工心肺離脱後は当然のことながら人工呼吸器が使えないので、麻酔科医が手動でバッグを揉んで換気をすることになった。麻酔科医が一番忙しい時期に片手がふさがるのは、けっこうつらかった。追加の薬剤をシリンジに吸ったり、回収血をポンピングするのはなかなかつらい。他の麻酔科医たちは研修医の部屋に優先的に応援に行ったらしく、私の部屋にはだれもこなかった。
手動換気を続けること約30分、突然に電気は回復した。その後の手術は順調に進み、手術終了後に症例はすみやかにICUに運ばれ、十分に加温した数時間後に問題なく抜管された。
当然のことながら、停電および非常用電源が作動しなかった原因が調査された。
停電の原因:4月からその病院では電子カルテを導入したので、大量のパソコンやらプリンターやらが院内に追加されていたが、その時点では問題なかった。ただし6月末の晴天日の昼ごろということで、病院のあちこちでクーラーのスイッチを入れたので「電カルの容量負荷+夏季容量負荷」が重なって、電力供給能を超えてしまってブレーカーらしきものが作動したそうである。
非常用電源の作動しなかった原因:その病院の手術部は増築に改築を加えたので、タコ足にタコ足を加えたような電力配線だったそうである。天井灯だけはなぜか上階の病棟から配線をひっぱており、また手術部の非常用電源は「完全な停電」にならないと作動しないシステムだったそうである。
個人的には、私にとって「手術中の停電」はネパール(酸素配管の暴発も経験)、ニューヨークに次いで3度目(ただし開心術では初めて)だったので、比較的冷静に対応することができた。
結語
1.非常用電源を過信してはいけない。
2.人工心肺中に停電となったら、麻酔科医は人工心肺中にあらゆる薬をシリンジに吸っておき、離脱後の手動換気にそなえる。
3.明日、手術室に行ったら懐中電灯とバッテリーの在処を確認しておく。
4.酸素も途絶する可能性があるので、セルフインフレーション式アンビューバッグの在処を確認しておく。
5.電カル導入後1年ぐらい(少なくとも夏を越すまで)は用心すべし。
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